2016年の12月8日にJRAは新規調教師試験の合格者を発表し、7人の中に武幸四郎騎手の名があった。
1978年11月3日生まれの38歳。
兄の武豊騎手が1969年生まれの47歳で現役を続けていることを考えると、早すぎる引退と言える。
武豊騎手が170cmと騎手の中では高身長と呼べるのに対し、幸四郎騎手はそれを遥かに超える177cm。
馬に騎乗するために、50Kg前半の体重をキープするのは、かなり辛かったと推測される。
近年は騎乗回数をセーブして、調教師転身への道を目指していた武幸四郎騎手。
2017年2月でステッキをおく、その騎手人生にスポットを当ててみたいと思う。
JRA初勝利が重賞勝ち
デビューは1997年の3月1日。
初騎乗は1R未勝利のメイショウユリヒメで、3人気の6着という結果であった。
初勝利はその翌日で、しかも、メインレースのマイラーズC(G2)。
父の邦彦氏の管理馬オースミタイクーンで11人気の低評価を覆して、中団から差す競馬で見事1着。
JRA史上最短記録となるデビュー2日目で、重賞勝利の快挙を達成した。
また、その年は37勝をあげ、最多勝利新人騎手賞に輝いた。
兄の豊騎手も1987年に同賞を獲得しており、まわりの幸四郎騎手への期待も高まるのは当然と言える。
4年目で初G1制覇
3年目のシーズンで62勝をあげ、騎手リーディング11位まで登りつめた翌年の2000年。
秋華賞でティコティコタックに騎乗し、ついにG1初勝利を飾った。
その後は2006年までに、G1レースで計3勝をあげた。
日付 | レース名 | 馬名 | 人気 | 着順 |
06/10/22 | 菊花賞 | ソングオブウインド | 8 | 1 |
03/05/11 | NHKマイルC | ウインクリューガー | 9 | 1 |
00/10/15 | 秋華賞 | ティコティコタック | 10 | 1 |
ウインクリューガーは東京競馬場が改修後の初G1レースで、直線が長くなったことを考え、
各騎手が中団~後方待機策をとる中、積極的に2番手につける競馬で押し切った。
ソングオブウインドはメイショウサムソンの3冠がかかったレースで、後方から差し切り。
2レースとも今でも鮮明に覚えているほど、素晴らしいレースであった。
徐々に低迷期を迎える
少々失礼な見出しだが、幸四郎騎手を語る上で、これも書かない訳にはいかない。
以下に2016年までの全成績を表にまとめた。
2007年・2008年を区切りに、それまで年間50勝していた勝ち星が徐々に少なくなっているのがわかる。
全成績(~2016年)
年 | 騎乗 | 勝数 | 勝率 | 重賞 | G1 |
2016 | 207 | 11 | 5.3% | 0 | 0 |
2015 | 242 | 13 | 5.4% | 0 | 0 |
2014 | 413 | 28 | 6.8% | 0 | 0 |
2013 | 407 | 23 | 5.7% | 3 | 3 |
2012 | 240 | 19 | 7.9% | 0 | 0 |
2011 | 161 | 7 | 4.3% | 0 | 0 |
2010 | 366 | 21 | 5.7% | 0 | 0 |
2009 | 379 | 18 | 4.7% | 0 | 0 |
2008 | 484 | 34 | 7.0% | 1 | 0 |
2007 | 456 | 32 | 7.0% | 5 | 0 |
2006 | 567 | 59 | 10.4% | 2 | 1 |
2005 | 456 | 28 | 6.1% | 1 | 0 |
2004 | 680 | 61 | 9.0% | 1 | 0 |
2003 | 587 | 49 | 8.3% | 4 | 1 |
2002 | 534 | 49 | 9.2% | 2 | 0 |
2001 | 594 | 47 | 7.9% | 1 | 0 |
2000 | 630 | 59 | 9.4% | 4 | 1 |
1999 | 648 | 62 | 9.6% | 1 | 0 |
1998 | 526 | 31 | 5.9% | 0 | 0 |
1997 | 492 | 37 | 7.5% | 3 | 0 |
なぜ、こうなったのかを私なりに考えてみたところ、ある1つの推測に辿り着いた。
ただし、このことをメディアで本人が語られたいた訳ではないので、あくまでも推測として聞いて欲しい。
2006年までにあげたG1レースでの勝利は、全て人気薄の馬に騎乗してのものだった。
では、幸四郎騎手がG1レースで1番人気の馬に騎乗したレースと騎乗馬を言える人が何人いるだろうか。
1レース目
1頭目は2007年のヴィクトリアマイルで、本田騎手が引退したことにより、手綱がまわってきた。
エリザベス女王杯は降着したが、実質ここまで無敗に等しい内容のカワカミプリンセスに騎乗した。
相当なプレッシャーがあったと思うし、半年ぶりのレースで馬の状態も半信半疑だったに違いない。
結果は惨敗で、その後2戦手綱をとったが、それ以降は騎乗依頼がくることはなかった・・
2レース目
もう1レースは2008年のオークスで、主戦をつとめていたリトルアマポーラでのものだった。
牝馬3冠レース全てに騎乗したが結果が出せず、降ろされた形となってしまった・・
G1レースでの1番人気はこの2レースのみである。
特に、リトルアマポーラで結果を出せなかったことがターニングポイントになったに違いない。
松本オーナーとの絆
2011年は161戦7勝、2012年は240戦19勝と騎乗機会さえ恵まれない年が続いた。
その翌年、最後に一花咲かせることになるメイショウマンボに騎乗することになる。
もともと、飯田祐史騎手が主戦を務めていたが、調教師へ転身するため、引退が決まっていたことから3歳戦の手綱を任された。
メイショウマンボの3歳時の戦績を見ていただくと、桜花賞TRのフィリーズRは川田騎手で勝利していた。
これは武幸四郎騎手が騎乗停止となったことでの乗り替わりであった。
ちなみに川田騎手は有力な騎乗馬がいなかったので、普通なら桜花賞は武幸四郎騎手が手綱をとることはなかったと思う。
しかし、松本好雄オーナーは人情や熱心さを大切にすることで有名な人。
桜花賞は武幸四郎騎手に手綱を任せたのだ。
それどころか、桜花賞惨敗後、追加登録料200万を払って、オークスも続投させたのだ。
結果、低評価を覆しての勝利で、武幸四郎騎手は勿論のこと、松本オーナーも涙の戴冠となった。
この年、メイショウマンボはG1レース3勝の成績が評価され、JRA賞最優秀3歳牝馬に選出された。
騎手引退、調教師の道へ
5年くらい前から調教師の道を考えていたとのことで、早ければ3月、遅くとも2018年には武幸四郎厩舎が開業する。
個人的な意見だが、武幸四郎騎手にはリーディングを優先する厩舎にはなって欲しくない。
自身の経験を踏まえて、若手に騎乗機会を与えるような人情味あふれる調教師になって欲しいと思う。
あとは、武幸四郎厩舎、武豊騎手騎乗、メイショウの馬でG1制覇する姿が見れれば最高だ。